ジョウゼフ・コンラッド

Joseph Conrad
(1857-1924)


 ポーランド出身のイギリスの小説家。本名ヨーゼフ・テオドル・コンラート・ナウェンチュ・コジェニョフスキJozef Teodor Konrad Nalecz Korzeniowski。ウクライナのベルディチェフに生まれる。

 両親は当時ロシアの支配下にあったポーランド独立運動の活動家で、ロシア官憲に逮捕されたのち、一家揃って流刑された。そのせいで両親は二人とも結核で早く亡くなり、孤児となったコンラッドはポーランドの母方の伯父のもとで育てられた。

 18歳でマルセイユに渡って以前からの希望であった船員となり、以後37歳まで世界中を航海。その間スペイン内戦に関わり武器密輸に携わったり、恋愛事件と借金苦から拳銃自殺を図ったりと奔放な生活を送る。

 コンラッドは母語ポーランド語のほかに、少年時よりフランス語を身につけ、さらに英語も習得した。89年ごろより航海の合間にかつて訪れたマレー諸島を舞台にした小説を英語で書き始め、この処女作『オルメイヤーの阿呆宮』Almayer’s Follyは95年に出版社フィッシャー・アンウィンから出版された。1896年にはイギリス人女性ジェシイ・ジョージと結婚。その後作家業に専念し、『島のあぶれ者』An 0utcast of the Islands(96)、短編集『不安の物語』Tales of Unrest(98)とコンスタントに作品を発表するが、生活は苦しかった。マラリアの後遺症と痛風にも終生悩まされた。

 『青春』Youth(98)、『闇の奥』Heart of Darkness(99)、『ロード・ジム』Lord Jim(1900)が発表された頃になりようやく初期の絶頂期を迎え、一流作家としての評価を不動のものとした。なかでも『闇の奥』『ロード・ジム』は生涯を通じての代表作とされる。

 「生来の神経症的な気質と、『闇の奥』に表現された深い懐疑と、現在および将来の生活に対する不安などの相乗的な働きのもとに、コンラッド作品の基調をなす暗いペシミズムとストイシズムに裏づけられた人生観が紡ぎ出された。またマーローに代表される語り手の工夫と、物語の時間を前後に移動させ場面の意味を重層的に深めたり効果的なアイロニーを演出する工夫が、この時期に完成されている」(集英社世界文学大事典より)

 以後円熟期を迎え、『台風』Typhoon(01)、『ノストローモ』Nostmmo(04)、『密偵』The Secret Agent(07)、『西欧の眼の下に』Under Western Eyes(11)、『チャンス』Chance(14)、『陰影線』The Shadow-Line(17)、『黄金の矢』The Arrow of Gold(19)などを次々と発表。

 1924年カンタベリーで心臓発作のため急逝した。


Joseph Conrad年譜(03.5.10更新)

邦訳されたコンラッドの作品(04.12.16更新)

コンラッド関連の研究書目(03.6.1)

 

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